散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

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駅からさんぽ~川崎宿を歩こう(一)

一昨年、日本橋を皮切りに、旧東海道を歩くシリーズがはじまり、どこまでやるのかわからないけれど、仮に数少ないスタッフが集まれる小田原宿までとすると、このあと、神奈川・保土ヶ谷・戸塚・藤沢・平塚・大磯・小田原と来て、また日本橋・品川の次ということで、川崎宿を今度やるのは十年後。

メタ坊が今のところ一番若いので、小田原までの生き残りは・・・?

と考えると、まち歩きポイントを公開しておいた方がいいのかな?と考えました。

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では、今回の集合ポイント・京急雑色駅を出発です。

「雑色(ぞうしき)」は、官職が衣の色分けで官位を表していたことから、宮中の雑用をする無官の人たちを、そのように呼び習わしたのが由来で、六郷神社の雑色ではないかといわれているようです。

町屋・雑色・高畑・八幡塚・道塚・古川の6村をもって、明治に六郷村になりました。

東海道分間絵図を見ると、今の雑色駅は村はずれで、雑色村中心には熊野社が見えます。

六郷一帯には、多摩川から分岐した「六郷用水」の水路がくまなく流れていました。 

その水路は「蛸の足」に例えられたそうです。

川崎の二ヶ領用水が有名ですが、徳川家康が江戸入りの際、江戸の町づくりとして、小泉次太夫に命じて、六郷・川崎の農業用水路開削がすすめられました。

道を歩いていると、板張りの家がありました。

大田区は太平洋戦争の折、米軍の空襲を受けて焼け野原となりましたが、それを免れたのか、建築基準法ができる前に建てたのか、むかし懐かしい風情があります。

六郷神社に到着。

東海道口にも、立派な鳥居が立っています。

平安時代末期、奥州(東北地方)安倍氏が反乱を起こした前九年の役に、鎮圧を命じられた源頼義・義家の軍勢がこの地に立つ大杉に源氏を示す白旗を掲げ、戦勝を祈願したことから、戦いに勝利し、願文通り石清水八幡宮の分霊を勧請したのがはじまり。

江戸時代は八幡神社で、明治に六郷神社となりました。

ここには、大田区内最古(1685年)の狛犬が残っていて、珍クシャのユーモラスな顔をしています。

江戸時代には、こんな狛犬が流行っていたようで、磯子区杉田八幡神社にある横浜市で最古(1692年)の狛犬も風貌が似ています。

さて、樹齢千年の旗懸けの大杉はというと、大正11年に枯れたため、正面鳥居の脇に古株が残され、社殿脇には新しく杉が植えられています。

正面鳥居脇には、忠魂碑や講の石碑のほか、明治の六郷橋の木製親柱などがあります。

多摩川(南)を向く正面鳥居の前には、梶原景時が寄進したという石造りの神橋があります。

源頼朝が奥州征伐の際、祖父・父に倣って、この地に立ち寄り、白旗を大杉に掲げて戦勝を祈願、願文通り勝利したゆえ、梶原景時に命じて社殿を造営したのだそうです。

門を出るとすぐの電柱管理票に、東電「六郷橋」NTT「関ペイ」の文字。

戦いに勝つたびに「かんぺい!!」したのかなと思ったのですが、近くに関西ペイントの大きな工場があったのだそうです。

ただ、その塀際には、NTT「トビー」と名のある由来が調べてもわかりません。

ググってみると、六郷あたりには、鳶凧という郷土玩具があるのだとか、それとは関係なさそうだし・・・。