「菓寮 東照」の数軒先に「東海道かわさき宿交流館」があります。

旧東海道の現在の街並みには当時の面影を思わせるものがあまり残っていないため、川崎宿の歴史や文化を後世に残すことを目的として建てられました。
館内には、川崎宿のジオラマや旅装束に着替えて撮影できる無料写真スポット、もちろん解説パネルのほかにスタッフによる説明も受けられます。
少々長めの休憩を取って、ここから後半戦のまち歩き再開です。
過去の歴史に触れられる場所として、どこへ行っても神社仏閣がその代表として挙げられますが、宿場町も例外ではなく、ひと通りの宗派のお寺が並んでいるのも特徴的です。
今回は、遊女の供養塔やバルセロナ五輪で金メダルをとった「平成の三四郎」古賀稔彦さんの眠るお墓がある曹洞宗の宗三寺のみ訪れました。

ここからちょいと街道を離れて、稲毛神社へ。
もとは山王社と呼ばれていました、江戸時代、川崎宿と河崎七ヶ村の総鎮守。

それだけに様々な末社が並んでいたり、十二支巡りなどちょっとしたワンダーランドです。
ここの狛犬は、奈良のマスコットキャラクター「せんとくん」で有名な薮内先生が制作したもの・・・川崎奥部の王禅寺には同先生作品「禅寺丸」が西を守っていて、この狛犬は東の守りなのでは?なんて、現在の川崎市の発展状況から勝手に解釈しています。
今回は川崎市役所の展望フロアには立ち寄らずに、
旧東海道へ戻り、京へ向かってのぼっていきます。

幕末、上洛する14代将軍徳川家茂が宿泊した上の本陣「佐藤本陣」のあった向かいの角に解説板があり、そこに阪神タイガースの応援で歌われる「六甲おろし」や村田英雄さんのヒット曲「人生劇場」の作詞家佐藤惣之助が、この本陣の家で生まれたことが書かれています。
旧小土呂橋の親柱を過ぎるとあとは真っすぐ八丁畷へと続きます。
左側に、全米チャート1位となった日本人歌手・坂本九さんの母校・川崎小学校が望めます。
校門脇には、今では珍しい郵便ポストが現役でがんばっています。

やがて、俳聖・松尾芭蕉の「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」の句碑まで来れば、今回のゴール・京急八丁畷駅に到着です。

たいがいは東海道を西に向かう旅人を品川宿か六郷の渡しまで見送ることが多かったようですが、故郷の伊賀へと帰る芭蕉との別れを惜しんで付いてきた門人たちは、ここにあった茶屋で別れを告げたのだそうです。
ということで、京急雑色駅から八丁畷駅までのまち歩きガイドでした。
本番は、結構、あれやこれや新旧織り交ぜてご案内しましたが、ここでは概略のみ。
*************** お試しバナー・実験中 ****