政令指定都市のうち、西区という行政区を設けているのは、横浜市、名古屋市、大阪市、神戸市、札幌市、さいたま市、新潟市、堺市、広島市、福岡市、熊本市となりますが、他都市と違い、横浜市の西区は市域全体の中の位置関係でいうと、東区が正しいのでは?といわれかねない「謎」を抱えています。

実は、中区が謎を解くカギになります。
横浜市が区制を施行するのは、昭和2年10月1日のこと。
その年の4月1日に、橘樹郡鶴見町・旭村・大綱村・城郷村・保土ヶ谷町、都筑郡西谷村、久良岐郡大岡川村・日下村・屛風浦村を横浜市が合併したことで、市域が拡大し、行政管轄を分ける必要が生じたのです。
北から鶴見区、神奈川区、中区、保土ヶ谷区、磯子区の5区が誕生します。
太平洋戦争が始まり、昭和17年4月に米軍爆撃機の本土初空襲を受け、6月にはミッドウェー海戦で制海権と制空権を失うと、本土防衛の機運が高まります。
帝都・東京の海の玄関口としての役割を担っていた横浜市中区を、非常時に混乱することを防ぐ意味から、昭和18年12月1日中区を分けて南区が誕生、翌19年4月1日中区からさらに西区が分かれたのでした。
つまり、中区(横浜港あるいは大桟橋)に対して、南方、西方だったからと考えられますが、図では、南区は西、西区は北に位置しているように見え、1つは「北は縁起が悪い」から、もう1つは地図表記した場合に敵を混乱させるためという説があり、真贋はわかりません。
駅を出て、線路沿いに進んで行くと、やがて「元平沼橋」を渡ります。

上に見えるごっつい鉄骨の橋は、今の「平沼橋」で、これができたときに旧「平沼橋」が「元平沼橋」になりました。
ここから古道「横浜道」を旧東海道からの分岐地点に向かいます。
途中、詳しいことはわかりませんが、海軍兵学校の正門を複製したモニュメントがあります。

そこからすぐに「新田間橋」があります。
芝生村新田と岡野新田の間に架かる橋ということで名付けられ「あらたまはし」と呼びました。
振り返ると、当時の錦絵と景観が重なります。
そう、新田間橋を開港地・横浜村に向かっていく左側は、海。
今の横浜駅周辺は「海」だったということがわかります。

ほど近い、水路(むかしは岸壁だった?)を暗渠にして緑道になった道をたどると、旧東海道の横浜道基点の案内板がある場所に着きます。
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メタボ対策で始めたものの、今は認知症予防10か条を実践すべくブログしてます。