旧東海道から分岐した横浜道の基点を上方(かみがた・京都方面)に向かいます。
すぐのところに浅間下交差点があります。
自動車社会になると、市内の主要道拡幅や高速道路網が整備されるまで、交通渋滞のメッカ、交通の要衝で、今でも相当量の車両が往来しています。
近くに、当時は指導が厳しいと定評の自動車学校があり、メタ坊もここで修業を重ねて免許を取得。
おかげで、車線変更やら渋滞の切り抜け方、高速の乗り降りなどお手のもの。
初乗りは自宅のある横須賀から国道16号を北上し、首都高に乗って羽田で折り返すという冒険ドライブを敢行して自信をつけました。
交差点名の「浅間」の由来、芝生村浅間神社に立ち寄ります。

江戸時代も明治時代も「名所」として、参詣客が絶えませんでした。
なかでも「人穴」と呼ばれる大きな横穴があって、この穴は富士山に通じていると信じられていました。
のちには横穴式古墳群の1つであることが判明したので、今では見ることはできません。
面白いことに、浅間神社の裏手一帯は「軽井沢」といいます。
横浜市の町名の由来には「水の枯れた沢であることから」とか「荷を軽く背負ったから」とかあるものの、メタ坊的には、山手の外国人居留地同様に、横浜港の見渡せるこの高台の地名を、浅間神社のある山を群馬の浅間山に見立てて、その裏手だからというシャレで避暑地・軽井沢の名をいただいたと思いたい。
なぜなら、横浜市への合併の際、芝生(しぼう)村が「死亡」を思わせるので、芝生町ではなく浅間町と町名を付けたというのですから・・・ただし、神奈川宿が神奈川町となり、その一部に軽井沢という地名があるので、ご注意を!
右側は山、左側は海(のち帷子川)で、行きかう人の袖をするほど狭い道だったので、山を袖摺山(そですりやま)、海を袖ヶ浦(そでがうら)と呼びました。

途中、シャッターに国際信号旗がペイントされています。
3つの旗の組み合わせは「本船は、天候が回復するまで待つ」を意味しています。
建物の八代産業さんは、屋根ふきなど塗装や防水の会社でした。
八王子道との分岐点「追分(おいわけ)」を過ぎると、横浜のアメ横と呼ばれる松原商店街にやってきます。

追分で道を誤り?商店街に入ってきた車やトラックは、あまりの人の多さに驚いて、細い脇道にノロノロと入っていく光景を見ることができるのも、ここならでは。
国道16号線を渡ると、今度は天王町の商店街が続きます。
水道道を交差する一角に「橘樹(たちばな)神社」があります。

もともとは天王社でしたが、明治の神名帳に一帯の鎮守として「橘樹神社」と届け出たことが由来で、他のタチバナ神社がヤマトタケルの東征で、海神を鎮めるために入水したオトタチバナヒメを祀るのとは一線を画しています。
調べてみると、帷子川を流れてきたご神体を拾った農民が祠を建て、どこから来たのかわからないので上流に向かって祀ってあるそうで、その後、明治になり東上してきた明治天皇が円鏡をご神体として賜ったことから社殿が造営され今にあるため、正面拝殿前で参拝したのち、裏手に回ってもう一度参拝するのがむかしからの習わしだとか。
駅前には、歌川広重・東海道五十三次の浮世絵にも描かれた、帷子(かたびら)川に架かる帷子橋の旧跡広場があります。

その近くにミニストップ発見!!!

ソフトクリームでまったり休憩タイム。あま~~~い、旨い。
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メタボ対策で始めたものの、今は認知症予防10か条を実践すべくブログしてます。