散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

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上を向いて歩こう!~座間市ひばりが丘編


ちょうど1年前のことです。相模野基線を訪ねて、相鉄線さがみ野駅を降りました。
電車にしても、車にしても、普段は通り過ぎるばかりで、初めての座間訪問です。


歩き始めると、思いのほか見どころが多いので、あらためて見直した座間なのですが、
芹沢公園にある地下壕は、戦争遺構として、戦闘機の格納モデル(見出し写真)まであり、
よく整備されているので感激しました。

神奈川県とか、千葉県というのは、その位置関係から、
帝都・東京を守るための堡塁的な役割を担わされていると思っています。
江戸城を守るために御台場を築いたのと同様に、
東京湾を地図でぐるりと見渡すと、要塞跡や基地が要所要所に配置されていることがわかります。
作家・司馬遼太郎は、確か戦車隊に配属されていて、
敗戦の色が濃厚となったころ、相模湾九十九里浜に米軍が上陸した場合の備えとして、
埼玉県に駐屯地が変更された際、
本土防衛の大義のもとに、戦車隊が避難する市民を蹴散らして進む位置に、
駐屯地を移す軍隊の理不尽さを、何かに書いていたと記憶しています。
ともあれ、この辺り一帯はあるラインを境に、
陸軍と海軍の施設がひしめきあっていた場所で、
そのひとつ「高座海軍工廠」の一部が戦争遺構として芹沢公園に残っています。

さて、相模野基線は、日本における近代測量(三角測量)の基準となる南北点と、
それを結ぶ線(三角の一辺)を測ったところで、
この線を基にして地図が作成されました。
その南端点が、座間市ひばりが丘に残されています。(下写真右の四角の杭)


歩きながら、電柱を見上げていると、
ひばりが丘だけに「雲雀(ひばり)」のプレートを見つけました。


どのあたりかな?
座間市は住居表示を実施すると案内図を掲げているようです。すばらしい!


さて、相模野基線の中間基点に向かって歩いていると今度は「美空」のプレートを見つけました。


この辺りは、住居表示の際に設置された町名として「小松原〇丁目」なので、
「美空」の由来がわかりません。(下図は、座間市の住居表示実施区域図の一部)


念のため、字地名かと思い、やはり座間市の字区域図(下図)を比較してみましたが、
「美空」を暗示させるものはありません。工場でもあったのかなぁ?
とにかく「美空」と「雲雀」なんて、東電も電電公社もシャレたことをしますね。
ちなみに「芹沢公園」は、字区域図の「芹沢・芹沢谷」あたりで、
水源林と地下水汲上げによる水道ポンプ施設などがあり、
昔はセリが一面に生い茂っていたことを想像させます。


さらに進んで行くと「行幸支」のプレートを見つけました。この謎解きはまた後日・・・


やっと、相模野基線中間基点に到着。
そもそも相模野基線自体5,209m余りあり、
測量した明治のころのように、相模野台地の平坦で何もないのとは訳が違い、
工場や住宅が立ち並ぶ中を、あちこちと歩いているので、この話もまた後日にします。


ところで、高座海軍工廠跡地はというと、日産の工場がそのほとんどを占めていて、
一部移転にともなって、商業施設に姿を変えています。
物々しい高圧鉄塔との組み合わせも、その辺りの事情を物語っています。


その鉄塔のネームプレートを見ると「瀬谷線」となっていました。

この鉄塔をたどれば、横浜市瀬谷区に行きつくことを示しています。
そのむかし、映画にもなった小説「鉄塔武蔵野線」に、
このプレートに興味を持った少年が鉄塔伝いに原子力発電所へ行こうとする話が描かれています。

「瀬谷へ、電車ではなく電線で帰ると早いだろうな」なんて、想像してみたりもしました。